正義 justice 2004 5 30

 正義には、二種類あります。
一般的な正義とは、秩序を守る正義、秩序を維持する正義でしょう。
 しかし、時代の端境期には、もうひとつの正義がでてくるのです。
それは、「新しい時代」を切り開くという正義です。
ここでは、この正義を、「新しい正義」と定義しましょう。
そして、秩序を守る正義を、「古い正義」と定義しましょう。
 時代の端境期には、
「古い正義」が、「新しい正義」から「挑戦」を受けて、「応戦」していくのです。
 このような時代には、この「挑戦と応戦」の繰り返しとなるのです。
そして、やがて、「古い正義」が滅びていくのです。
 これは、歴史を振り返れば、わかることです。
たとえば、イギリスの歴史を見てみましょう。
 クロムウェルという人物は、歴史の教科書には、たいてい、でてくるでしょう。
この人は、政治家であり、軍人であり、英雄でもあったのです。
 しかし、この人がやったことは、何か。
当時は、常識であった「絶対王政」を打倒するために、「新型軍」を編成しました。
 しかし、当時の秩序は、王政です。
ですから、当時は、この王政という秩序を守ることが、「正義」でした。
そして、クロムウェルがやったことは、秩序を破壊することでした。
つまり、これは、反乱です。
 しかし、歴史の評価は、どうなったか。
反乱軍の中心であったクロムウェルは評価され、
当時の秩序であった王政は、過去の遺物とされました。
 クロムウェルは、議会制民主主義という「新しい正義」を確立したのです。
そして、これは、古い「封建国家」から、
新しい「近代国家」への「歴史の転換点」となったのです。
 もちろん、正確には、この「ピューリタン革命」では、
まだ、議会制民主主義は確立しませんでした。
数十年後の「名誉革命」まで待つ必要がありました。
 しかし、クロムウェルは、「挑戦と応戦」の繰り返しのなかで、
新しい時代を切り開いていったのです。
 王党派と議会派の戦いは、多くの戦死者が発生し、悲劇だったかもしれません。
しかし、この戦いは、新しい時代を切り開く「剣」だったのです。
クロムウェルは、「平和ではなく、剣をもたらすために来た」とも言えるでしょう。
 このように、時代の端境期には、
「古い正義」が、「新しい正義」から挑戦を受けて、応戦していくのです。
そして、「古い正義」が、疲れ果てていき、消えていくのです。

ネイズビー Naseby 2004 5 25
 1625年に国王となったチャールズ1世は、
父王ジェームズ以上に、専制政治を強化した。
 そのため、議会は、「権利の請願」を提出し、
議会の同意がない課税や、
法律に基づかない逮捕や投獄をやめることを、
国王に約束させた。
 しかし、これに対し、
国王は、結局、議会を解散し、約11年間、
議会を開くことなく、専制政治を、行うことになった。
 こうして、王党派と議会派の対立は、深刻なものとなり、
ついに、ある事件を契機に、イギリスは、内乱状態となった。
 議会派の中心であったクロムウェルは、
近代的な軍隊に近い「新型軍」を編成し、
1645年に、「ネイズビーの戦い」で、
王党派の軍隊に大勝した。
 1649年には、国王が処刑され、
議会派が、共和政を打ち立てた。
これが、ピューリタン革命と呼ばれることになった。





























































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